石見銀山(太田市)」
石見銀山
は中世から近世に日本有数の鉱山として
栄えた。
狭い坑道の中を這って進み、座って発掘する過酷な作業、しかも長時間労働。
鉱夫は10歳代にてほとんど亡くなったという記録がありました。
龍源寺間歩(石見銀山の坑道)とその付近
龍源寺間歩から
大森の町並みへの途中
大森の町並み
大森代官所跡
中にある石見銀山資料館